大光銀行と田中角栄


大光銀行という名前は、全国的に知られている名前ではありません。しかし、新潟県にあるこの第二地方銀行の名前が、一気に注目を浴びるようになったのは、1970年代の出来事です。1970年と言えば、日本列島改造論を提唱していた田中角栄が政治の実権を握っていた時期です。

田中角栄は新潟県長岡市出身の国会議員であり、首相(総理大臣)でもありました。剛腕と呼ばれる小沢一郎氏の師匠筋であり、自民党に田中派を結成し、1970年代から1980年代の政治を支配した政治家でもありました。

大光銀行は、田中家がオーナーを務めている企業を通じて田中角栄と密接な関係にあり、選挙においても集票組織として大きな力を持っていました。そのこともあって、田中角栄が東京で活動する際、大光銀行の利用を積極的に在京の企業に呼びかけた結果、大光銀行は東京に本格的に進出し、田中角栄から紹介された企業に融資を行うようになりました。

しかし、紹介された融資は次第に大光銀行の資本力以上となり、1970年代後半には資本力を超える融資を行っている状態になった大光銀行は、銀行倒産の危機に陥ったのです。その後、全国の銀行等で作る全国銀行協会等からの緊急融資によりなんとかその場をしのぎ、倒産の危機は逃れました。しかし国から指導を受け、それ以降は大盤振る舞いの融資を行うことはなくなりました。

1985年に再建が完了したのちは、新潟県を中心とした個人顧客向けのサービスに特化した銀行として「身の丈」の営業を行うようになりました。その後のバブル景気にも踊らされることなく、現在に至るまで堅実な経営を行い、顧客の信頼を回復しています。